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主に即興をするミュージシャン(この言い方はかなり雑で御幣も感じるが)の曲的進行で進む演奏者との関係は聴くもやるも自分にはまだまだエネルギーの消耗が激しい。
精神力、表現力、伝達力...すべてに足りないものを痛感。トホホ。

「間違えない様に決められた事を演奏する」という部分の事じゃなく、演奏者同士が瞬間瞬間にどんな関係を認識して歩を進めているか、という出来事そのものの部分。
これはそもそもは完全に自由な演奏状況と変わらない所だと感じる。

表面上で聴こえてくる自由そうな音の表情は数あれど、それも相手との関係によっては予め何かを決めていて演奏するよりも窮屈に感じる事も少なくない。
逆に演奏中にお互いが感じ合えた共通項を見出せた瞬間からお互いの音は自由に羽ばたき、曲でなくとも曲の中にある効力を演奏で体感する事がある。
とはいえ共通項というのが逆にネックになり関係の可能性を退屈な方に終息させる事もよく起こる現象。

「それ」を感じた解釈のレンジの幅や包容力、認識した事へのデリカシー....無限に考えられる出会った人間との気持ちの良い関係が要とも感じる。

うーん。ワビサビの世界を感じるが、これはやはり日本人だからだろうか?
いや、「ワビサビ」である以前にこの関係をワビサビと呼ぶだけなのだろうから、日本人でなくとも世界共通である感覚なのだろうけど。。どーなのだろうか?

現在「曲」と言われている物を探れば、そもそも人間の持ち合わしている切っても切れない部分な気がしてきたのでありました。

ビビビ!
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